EQPのセオリー

15

「イーライ・グリッサム、か……。端的に言うならば、無秩序型の愉快犯。大人の女性は相手をしてくれないし、売春婦を買う金も所持しておらず、そうやって持て余した性欲を力の弱い子供で晴らそうとした、代替としてのペドフィリア。つまり弱い者いじめのクソ野郎でしたね。秩序型と違い知能は低く、IQも七〇あるか無いかという程度」
「あの事件はある意味において、犯人の知能指数が低かったことにより掻き乱されたようなものだったな。犯行には決まったパターンがあったため、ヘレン・ガードナーは秩序型であり犯人のIQが高いと判断したが、実際はその真逆。決まったパターンがあったのは犯人がIQの低い知的障害者であったからだった。……知的障害者は決まったパターンを好み、パターンを掻き乱されると混乱し、誰にも予想できない暴挙に出る。そして彼のパターンを妨害し混乱を誘発してしまったのは、私たち警察だった。混乱した犯人にはそれまでのパターン性が無くなり、行動の予測は一時的に不可能となった。まったく予想もしていなかった場所で事件が起きた時には、私までも混乱したものだ」
「あのときヘレン・ガードナーは、犯人の予測が出来なくなったのは犯人の頭が良いからだと言っていましたね。捜査を撹乱するために、わざとやっているに違いないと。けれどカルロは、真逆のことを言ったんですよ。さっきのようなことをね」
「そうだ。無論、ヘレン・ガードナーには叱責されたがね。だが、結論を言うと私のほうが正しかった」
「伝説のプロファイラーなんてのは、嘘っぱちだったんですよ」
「その後、私は今までのデータを基に、犯人が次に生み出すであろうパターンを予測した。共に捜査に臨んでいた、新鋭の数学者と共にね。そして私と数学者は次の犯行が行われるであろう場所を絞り出し、そこにラーナーを向かわせたんだ。そこで次の犯行が行われると、断言できるほどの確証は無い、一か八かの賭けだった。けれども私は、賭けに勝った。ビンゴだったんだよ」
「そうして私が、イーライ・グリッサムを逮捕したわけです。が、あと一歩であの男に……――うぅっ、思い出すだけで寒気が。忌々しい」
 ぶるっと小柄な体を震わせるのは、パトリック・ラーナー。その横で、上等なブレンドコーヒーを啜りながら、思い出話に興じるのはカルロ・サントス医師。
 カルロ・サントス医師はコーヒーカップを机の上に置くと、パトリック・ラーナーを見つめながら、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、あの事件がなかったら今のお前のキャリアは無いわけだぞ? イーライ・グリッサムには感謝すべきじゃないのか」
「あのペドフィリアの変態クソゴミカス野郎に? こちとら、あやうく掘られるとこだったんですけど?」
 カルロ・サントス医師の横に座っていたアレクサンダーは、彼らの話を聞きながら、一冊の分厚い本を読んでいた。
「ラーナー。お前、あのとき掘られたんじゃなかったのか?」
「ンなわけないでしょ。今はだいぶ衰えましたけど、あの頃はスパルタだったアカデミーでの研修を終えたばかりで、体力もありましたしね。武術未経験な中肉中背の中年男くらい、倒せましたよ。体格差というハンデで、苦戦はしましたけど。いやぁ、しかしあの時ばかりは危なかった……」
 ハンス・ゲオルク・ガダマー著、真理と方法。そう書かれている本の背表紙を、困惑した表情でじっと見つめているのは、ニール・アーチャー。パトリック・ラーナーの横に座る彼は、おじさん二人が交わしている、思わず耳を塞ぎたくなるような過激な話を、肩身を狭めて聞き流そうとしていた。
「ハッ! その話は初耳だ。私はてっきり、お前があのときに耐えがたい屈辱を味わい、その事実を知られたくないが為に黙っているとばかり思っていたのだが……そのような行為は、されてなかったというわけか。詰まらんなぁ」
「詰まらん?! 人のピンチを、あなたって人は一体なんだと……――」
「男のピンチは、愉快なショーだ。悲劇であればあるほど、面白い。女性が男性に虐げられるという話は大体胸糞悪いが、男が男に酷い目に遭わされるというのは、意外な結末になることがあってね。クレヅキ・ヤヨイという女流作家の小説『ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ』というのは実に興味深い物語だった」
「カルロ、あなたのような変態が好むような小説ってことは、つまり異常な」
「あぁ、ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ。たしかに、あれは興味深い物語でしたね」
「アレクサンダー、あなたまで変態の仲間に?!」
「別に、あの小説に関しては変態というわけでも……」
「俺も、あの小説は知ってる。けど、俺は変態だと思うわ」
 居心地の悪さからなのか、そう喋ったニール・アーチャーの声はどこか緊張により上擦っている。アレクサンダーは変に高くなった声と、赤くなっているニールの顔に思わず噴き出すと、パタンと読んでいた本を閉じた。
「だって、あの話はゲイの男の家に転がり込む羽目になった主人公の男が、酷い目に遭わされる話だろ?」
「いや、そうでもないよ。主人公のアーサー自身は、自分が酷い目に遭わされたとは思っていない。それにゲイの男ってのはレイモンド・バークリーのことを言ってるんだろうけど、レイモンドはゲイじゃなくてバイ」
「……俺は最初の数十ページで脱落したから、そこまでは分かんねーけど」
「なら、あの小説の面白さなんか理解できるはずもないよ。同居初日に起きた酷い出来事のあと、アーサーは少しずつレイモンドに惹かれていくんだからさ。田舎には将来を誓い合った彼女が居るっていうのに、一瞬だけだとしてもルームメイトの男に気を取られただなんて、アーサーはけしからん男だよ」
 ハハハッと笑いながら話すアレクサンダーに対し、その話を聞くニールの顔はひどいもので、ニールからアレクサンダーに向けられる視線には、嫌悪やら侮蔑といった感情が入り混じっていた。
 けれどもそこに、アレクサンダー以上の化け物が口を挿んでくる。カルロ・サントス医師は向かいに座るパトリック・ラーナーを凝視し、にこにこと笑いながら言った。
「ほぼ強姦に近い形で犯されたというのに、同性間ではそこに時たま擬似的な恋愛関係が生まれることがある。異性間では、まずあり得ないことだがな。あの小説の場合は、レイモンド・バークリーという男が境界性パーソナリティの要素を少なからず持っていることも大きく起因しているが……現実でも、似たような症例を見たことがある。初めは知り合いの男にレイプされたと言って、私のもとにPTSDの治療を求めてきたのに、二週間ほどで治療を無断中断し、二ヶ月後に戻ってきたかと思えばレイプしてきた相手と同棲を始めて、そういうわけだから治療を終了してほしいと笑顔で告げてきた男がいたよ。私も精神科医を十五年ほどやっているが、あれを超える衝撃は未だに無い」
「へぇ。ということは、ですよ。カルロ、あなたは私に、その小説の主人公のように、イーライ・グリッサムに対して恋愛感情を抱いていることを期待していたと、そういうことですか?」
「ああ。現実と妄想の狭間で葛藤していたら、なお良しだったんだがなぁ。やはりパトリック・ラーナーという男は、期待を見事に裏切ってくれる。憎いな」
「やっぱり、あなたって人は変態だ。変態ですよ、本当に!」>
 あなたは友人を何だと思ってるんですか。パトリック・ラーナーはカルロ・サントス医師を睨みつけながら、そう呟く。その横でニールはそわそわと挙動不審な振舞いを見せながら、無言でミルクセーキを啜っていた。
「……」
「どうしたんだよ、ニール」
「……い、いや、別に。何でもねぇよ?」
 ニール・アーチャー。彼は、こんな状況になると想定していなかった。
 ニールは先週、アレクサンダーをデートに誘った。彼女がそのことをどう捉えたのかは知らないが、とにかく誘いは断られた。そのはずだった。
 だが、そんな状況も一変。昨日になって急に、アレクサンダーは「この間の誘いはまだ有効か?」と訊いてきたのだ。ニールは勿論、こう答えた。当り前だ。
 ニールは期待していた。アレクサンダーと久々に二人きりで出かけられることを。迷惑を掛けたし、ごたごたもあったし、そういうわけだから全てをチャラに出来ればなとか、以前のような互いに腹を割って話せるような関係に戻れればいいなとか、それ以上に進展出来ればいいなぁだとか、色々と考えていたのだ。
 だが、それがどうだ! アレクサンダーが指定した店にニールが入ってみれば、そこで待っていたのはオッサン二人だ! それもそのうちの一人は、因縁のある元・教官! パトリック・ラーナーじゃないか!! そのうえアレクサンダーは、パトリック・ラーナーとやたら親しげに喋っている! カルロ・サントスとかいう医者もよく分からん! 何がどうなってやがる?! アレックス!! お前はこのジジィどもと、どういう関係なんだ!?
 そしてさっきから聞かされるジジィどもの話と言えば、とても聞けたもんじゃない話ばかりだ。食人鬼と呼ばれた人肉嗜食のドミトリー・クレスチヤニノフの話といい、年端もいかぬ少年ばかりを狙って強姦したというジークリット・コルヴィッツというイカれた女の話といい、イーライ・グリッサムの話といい、なんといい……――。よりによってアレクサンダーが、そういった質問ばかりをジジィどもに投げつけている。
 どうしたんだ、アレックス。俺が知ってるお前は、どこに行っちまったんだ?!
 やはりニール・アーチャーは混乱してた。
「そういえばだ、ラーナー。考えてもみれば、お前の歴代の彼女たちはみなペドフィリアだったな。お前と破局した直後、ほぼ全員が少年に手を出して捕まっているじゃないか。それも彼女たちは全員、エレメンタリースクールの教員で、被害者は全員彼女たちの教え子だった。やっぱりお前は、ペドフィリアにモテるのか? それともお前が、そっちの人種に興味を抱いてるのか?」
「……」
「どうなんだ、ラーナー。気になるじゃないか」
「……失礼にもほどがありますよ」
 よりによって、ここは渋い純喫茶。客は自分たち以外に誰も居らず、ましてや美味しいティラミスなんかない。ニールは混乱していたし、落胆もしていた。何故、自分がここに居るのか。それが分からなくなっていたからだ。
 アレクサンダーと二人きりになって、色々と話したいことがあったはずだ。それなのにアレクサンダーはジジィの話を聞きながら、楽しそうに笑いつつ、なんか意味の分からない本を読んでるだけ。ニールのことなど眼中にないといった様子だ。
 何もすることがないニールは、ただ肩身の狭い思いだけを味わっていた。すると、そんなニールの肩をポンポンっとパトリック・ラーナーが叩く。君を巻きこんでしまって、本当にすまないと思ってるんだよ。パトリック・ラーナーはそう言うと、一冊の手帳を取り出す。そして手帳をカルロ・サントス医師に渡すと、ニールのほうに向き、思わず殴りたくなるようなにこやかな笑顔を見せた。
「ニール・アーチャー。実は君に頼みたいことがありましてね」
「……と、言いますと?」
「なにも難しいことじゃない。そこの彼女、アレクサンダーを、私の仕事が終わるまでここに縛り付けておいてほしいんだ。それと、カルロ・サントスのお守も頼みましたよ」
「えっ」
 ニール・アーチャーは、ますます混乱した。そしてアレクサンダーも驚いた様子で、パトリック・ラーナーを見つめていた。
「えっ、あっ、アタシをここに縛り付ける? どういうことです、ラーナー次長」
「私の仕事が終わるまで、この店から出ないでほしいっていうだけですよ。アーチャーが、君の監視をする。そしてカルロは、狛犬みたいなもんですかね」
「私が、狛犬だと?」
 カルロ・サントス医師も、パトリック・ラーナーを疑うような目で見る。するとパトリック・ラーナーは先ほど渡した手帳を指差すと、こう言った。
「その手帳は、ブリジット・エローラの手帳。三冊目です。今まであなたに見せたことがあったのは、二冊目まで。初めて見るでしょう、その手帳。ワクワクしますよね?」
「ああ、まあ、興味はあるな。だが、それが……」
「以前、あなたはこう言った。ブリジット・エローラという女性は、ペルモンド・バルロッツィが持つ凶暴な人格を知らなかったのでは、と。ですがその三冊目の手帳では、その凶暴な人格について語られてるんです。それ以外の、もう一つの人格についても。気になりますでしょう?」
「勿論、興味はある。だが、それがどうしたんだ」
 カルロ・サントス医師は首を傾げる。ニール・アーチャーも首を傾げる。けれども、アレクサンダーだけは「あっ!」と声を上げた。彼女だけは『狛犬』の意味を理解したのだ。そして、自分が店の外に出てはいけないという理由も察した。
「実を言うと今、この近辺にあの男が潜んでいるみたいでしてね」
「あの男というと、ペルモ……――!」
「ええ、そうです。アイツです。それで、あの男は大の精神科医嫌いでしてね。精神科医でありながら、自分に対して異常な興味を抱いている人間となればー……――接触は意地でも避けるはずです。つまりですね、カルロ。あの男は、あなたにだけは絶対に近寄ってこないんです」
「なっ!? わっ、私は是非ともお会いしたいと」
「それだけは、絶対に無理だと言い切れるでしょうねぇ。ですので、そんなカルロの傍に居れば、君たちの身の安全は保証できるというわけです。あの男は危害を加えてこないでしょう。だから今日、ここにお呼び出ししたというわけです」
 要するに、カルロ・サントス医師は強力な魔除けなのだ。彼の傍にいる限り、彼を嫌う魔物は――つまりペルモンド・バルロッツィは――近寄ってこない。だから彼の傍から離れるな、と。そういうことなのだろう。
「近くで私の同僚も待機してることですし、ここは安全でしょう。なので、私が戻ってくるまでは絶対に、この店の外には出ないで下さい。分かりましたか、特にアレクサンダーさん?」
 念を押すように、パトリック・ラーナーはくりっとした大きな目で、アレクサンダーのことを凝視する。それに対してアレクサンダーが無言でこくりと頷くと、彼は店の外に出ていった。




 そうして、かれこれ一時間が経過した。
「なぁ、アレックス」
「なんだよ」
「このオッサン、大丈夫なのか?」
「ドクターのことなら、至って普段通りだよ」
「あぁ、そうなのか。おう……」
 本も読み終え、ついにやることが無くなったアレクサンダーは、退屈そうに天井を眺めながら、耳をそばだてる。ニールもだらけた姿勢で天井を仰ぎ、念仏を唱えるように呟かれるカルロ・サントス医師の独り言を聞き流していた。
「……ふむ。ペルモンド・バルロッツィという男の中には、三人の“彼”が存在していたのか。ひとつは、彼女がよく知っていた“ペルモンド”。しかし、彼は主人格ではない。そしてもうひとつは極稀に、特に性行為の際に姿を現した“アルファルド”。“ペルモンド”からは想像も出来ないような、自由でありユーモアに富んだ性格で、“ペルモンド”が好むような文字と数字の世界を嫌い、サイコパスのように刹那的な快楽だけを追い求める傾向にある。性に対する認識も、潔癖な“ペルモンド”とは大きく異なり、“アルファルド”は奔放そのもの。数多くの女性との関係は勿論のこと、複数の男性との関係もあったということを示唆するような発言もしていた。その振る舞いはまるで、自身に満ち足りた魅力的な男性そのものであるが、その割には言動の節々に空虚さが感じられなくもない。そして“アルファルド”が出現したあとには必ず、彼には自傷行為が見られ、主に首筋の頸動脈あたりに血が滲むぐらいの引っかき傷が……」
「マジであのオッサン、大丈夫なのか? なぁ、アレックス。あの人、本当に精神科医なんだよな? あの人自身が患者ってことは、ないよな?」
「ないよ。あれが、あの人の普通なんだ。気にするなって」
「気にするなって言われてもよ、無理だぜ。どうしても気になるっての」
「……む? “アルファルド”は自分が交代人格であることを認識していて、“ペルモンド”の記憶を共有していた、だと? そのうえで、もう一つの人格の存在も示唆していた……。“アルファルド”はもう一つの人格を“野獣”と呼んでいて、それが主人格であると言っていた。そして“アルファルド”は、自分のことを“野獣を飼いならした人格”だと例え、もうひとつの人格“ペルモンド”のことを“野獣を恐れ、封じ込めることに必死になっている愚かな人格”だと言った、か……。だが“ペルモンド”に“アルファルド”の記憶はない。ふむ。興味深い」
「なぁ、アレックス!」
「うるさい、黙れ」
「……なぜ“ペルモンド”が作られ、“アルファルド”が生まれたんだ? “ペルモンド”が主人格でないとしたら、その“野獣”というのは一体……」
 古びた手帳を食い入るように見つめ、独り言をぶつぶつと呟きながら、カルロ・サントス医師はページを捲る。そのスピードは、トランプのカードほどの大きさがある手帳の見開きページを、約一分くらいで読み切るというハイペースさ。
 その様子をニールは「うわぁ……」と、出来れば近寄りたくない巨大な昆虫を見るような目つきで観察していた。
「……やはり、記憶喪失がカギか。失われた過去に、何があったんだ? ますます気になるぞ、ひひひっ……」
 そんなニールとは打って変わり、アレクサンダーのほうは、カルロ・サントス医師の独り言を注意深く聞いていた。可能な限り耳を澄ませて、小さく不明瞭な声で囁かれる言葉をひとつでも聞き逃さないよう、意識を集中させていた。
「……この手帳に書かれていることは、あまりにも少なすぎる。ブリジット・エローラ本人も嘆いているが、彼女はペルモンド・バルロッツィという男の過去を何も知らなかったのだな。聞き出せていることも少ない。父親は濡れ衣を着せられた挙句に、裁判を受けることもなく銃殺され、母親は見知らぬ男に目の前でレイプされた後に絞殺、妹は爆撃に巻き込まれ死亡。事象だけが淡々と書かれているが……その中にはまるで、彼の当時味わった感情が書かれていない。離人症であれば、まあ当然のことか。うぅーむ。これは、強敵だぞ……」
「強敵って、なにがだよ? うわー、もうマジでこのオッサン怖いんだけど」
「静かにしろ、ニール」
「……彼の中には、どれだけの“彼”が存在しているんだ? 実に恐ろしいが、実に興味深い……」
 そう呟きながらカルロ・サントス医師は、ふふふっ……とひとりほくそ笑む。ニールは得体の知れない恐怖に身をぶるりと震わせ、アレクサンダーは顔を顰めさせた。
 そんなときだった。研ぎ澄まさせていたアレクサンダーの聴覚が、予想外の声をキャッチする。
『イヤだ! おじさん、こわいよ! 近付かないで!!』
 声を聞くなりアレクサンダーは即座に立ち上がり、まともに考えることもせず、衝動に身を任せて外に飛び出ていった。
「おい、アレックス! ちょっと待て、お前どこに行く気だよ!!」
「ユンだ! ユンの声が、聞こえたんだ!!」
 店の外に飛び出たアレクサンダーは、目の前に広がる大通りを見渡す。人混みの中をくまなく観察し、そして見つけた。
 路地裏に向かって逃げるように消えていく、白い髪の少女。背丈はちょうどユンやユニの双子と同じくらいで、遠巻きから見えた横顔は彼女たち姉妹に、特にユンにそっくりだった。
「なに言ってんだよ、バーカ。あの子は病院のベッドの上だ、こんなとこに居る筈がないだろ? 幻聴じゃないのか」
「今、あの子の背中が見えたって言ってもか?」
「つい最近、学校でぶっ倒れた奴の言葉なんか、誰が信用するか。アレックス、お前は疲れてんだよ。だから幻聴を聞いて、幻覚でも見たんだろ?」
 アレクサンダーは見ていた。白い髪の少女を追いかけ、同じ道に消えていった男の背中を。黒い帽子に黒いコート、黒縁眼鏡に不精髭、鷲鼻で蒼い瞳をしていた、あの男を。
「……話にならない」
 手首を掴み、制止を求めたニールの手を、アレクサンダーは強引に振り解く。そしてニールに背を向けるとアレクサンダーは、少女と男が消えていった路地裏に走っていった。
「アレックス! 行くな!! 待てって、おい!! ……クソッ。あのバカ野郎、なに考えてんだよ!! パトリック・ラーナーに逆らうだなんて、アイツ……ッ!」
 右手をぎゅっときつく握りしめたニールは、アレクサンダーが向かった方角をキッと睨む。そして一度振り返り、カルロ・サントス医師が手帳に夢中になっているのを確認すると、自分も彼女の後を追いかけようとした。
 だがそんなニールの前に、障害が現れる。ついさっきまで誰も居なかったはずの目の前には、黒い背広に身を包み、黒いサングラスで目を隠した、枯草色の髪の男が立ち塞がっていた。
「君が、ニール・アーチャーだね」
「……ええ。まあ、そうですけど」
「ラーナーから評判は聞いているよ。優秀な捜査官の卵だとね」
 ニールよりも少しだけ背が高かったその男は、ニールを見定めるように見る。彼がどんな目をしているかなど、サングラスが邪魔で分からなかったが、ニールはその視線に正体が分からぬ恐怖感を感じた。
 カルロ・サントス医師に感じた恐怖が『変態』という言葉で片付くなら、今こうして目の前にある恐怖は、まるで……――なんだ? とにかく人でないものを相手にしているような、畏怖にも近いものを彼は感じていた。
「君を、ここで失うわけにはいかない。君は今すぐ、ドクター・サントスの傍に戻りなさい。アレクサンダー、彼女はもう手遅れだ」
「手遅れだって?! それじゃまるでアイツが」
 目の前に立つ正体不明の男が発したその言葉に、ニールは怒りを覚えた。だがそれも束の間、怒りという感情は恐怖に変換された。
 男がニールの前で、サングラスを外した。ニールはその顔に見覚えがあった。そして男の目が、人間のそれとは異なっていることに気付いた瞬間、足ががくがくと震え始めていた。
「……君も、こんな末路は辿りたくないだろう? だったら、下がりなさい」
 男の蒼白い瞳には、瞳孔が無かった。いや、そもそもあれが瞳だったのかすら怪しい。瞳のように見えていたあの蒼白い部分が実は瞳孔で、眼球の中に渦巻いて見えた蒼白い光は、血液中に溶けたアバロセレンが放つ燐光だったのかもしれない。
 そして男の顔は、教科書で見たことがある死人に酷似していた。大罪人だと言われている、あの男に。
「アレクサンダー・コルト。彼女は深入りしてはいけない事情に、首を突っ込んでしまった。彼女のことは、忘れなさい。何があっても決して、追及してはいけないよ」
「……あ、あっ、アレックスが、一体なにをしたって……」
「アバロセレンが放つミスティックな蒼白い燐光に、彼女は惑わされたんだ。そして目が眩んでいるうちにアバロセレンが生み出した蜘蛛の巣に嵌まり、たった今、蜘蛛の巣の主に捕食された」
「蜘蛛の、巣?」
「……それ以上は、聞かない方がいいだろう」
 男は最後にそれだけを言うと、ニールの肩に手を置く。白い綿手袋をはめていた手はどこまでも冷たく、血が通っていない死人であるかのようだった。
 するとそこに、慌てふためいた様子のパトリック・ラーナーがやってきた。パトリック・ラーナーは枯草色の髪の男を見ると、彼のことを“上官サー”と呼ぶ。そして、パトリック・ラーナーは“上官サー”に報告をした。
「“ケイ”が奇襲を食らって、やられました。例の荷物も、あの男に持ち逃げされたようです。そして“ルーカン”は追跡がターゲットにバレて、ジャミングを喰らってます。追跡不可能です。私以外に残ってるのは“トリスタン”だけ。彼女が言うには、今のヤツは相当殺気立っているようで、迂闊に近寄るのは危険だと。あの、例の別人格で……」
「奴の装備は分かっているのか?」
「拳銃が一丁だけだそうです。防弾チョッキのようなものは」
「いつも通り、身につけていないんだな? ならば、大丈夫だ。今日こそ、あれを仕留める」
「ですが、あの男は」
 パトリック・ラーナーは何かを言いかけたが、途中で言葉を止めた。ニールの存在に気付いたということもあったが、それよりも“上官サー”が放つ並々ならぬ殺意を感じ取ったということのほうが大きいだろう。殺意の矛先が自分に向かぬよう、余計な言葉を呑みこんだという感じだ。
「あの男が死ぬことはない。心臓を潰そうが、何度でも息を吹き返す。そして痛みも感じない。それくらい、よく知っているよ。誰よりも私は、あの男のことを理解しているのだから」
「……」
「ならば、やるべきことは一つだけ。そうだろう、“ディナダン”」
「……イエス、サー」





 生まれて初めて、アレクサンダーは銃口を向けられていた。
「……バルロッツィ高位技師官僚」
「悪いな、いたいけな少女よ。生憎だが今の俺は“ペルモンド・バルロッツィ”だなんていうヘタレ男じゃない。“ペルモンド”であれば見逃したこったろうが、俺は違う。いつでもお前の額に、穴を開けられるぞ」
「なら今のアンタは、噂に聞くところの“アルファルド”なのか」
「へぇ、よく知ってんじゃねぇか。流石、あの人情探偵の娘ってとこか。それとも、気に食わねぇあのクソチビに何か吹きこまれたのか? もしくは、あのクソチビとよくツルんでいる精神科医か? まっ、どれだろうと構いやしねぇさ」
 男は構えた拳銃に、銃声を消すサイレンサーを装着し、安全装置を解除すると、口角だけを吊り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべた。そんな男の後ろには、右脚の太腿の動脈付近を銃で撃たれ、痛い痛いと泣きじゃくる白い少女の姿があった。
 少女は、ユンに似ていた。というよりも、彼女そのもののように見えた。だが、ユンではなかった。体は同じだが、中身が異なっている。そんな感じだ。
 ユンは年相応の振舞いをしていたのに対し、そこの少女の振る舞いはまるで四歳児。見た目はティーンエイジャーだが、中身がまるで伴っていないのだ。
「……なに、じろじろと見てやがる」
「そこの女の子は、何なんだ? まるであの双子にそっくりだ」
「お前、まさか何も知らねぇで飛び込んできたのか? ハッ、俺も随分と虚仮こけにされたもんだァ……」
 そう言うと、男の顔から引き攣った笑みが消える。次の瞬間、後ろの少女が悲鳴を上げ、アレクサンダーはその場に伏した。
 それは、一瞬の出来事だった。白い少女は右腕の肩口を音もなく撃たれ、アレクサンダーは脇腹を撃たれた。常人には見切れない早さで繰り出された早撃ちに、アレクサンダーは驚愕する。かつてニールを守ったというその技術は、今度はアレクサンダーを傷付けるために揮われていた。
 アレクサンダーはよろよろと立ちあがると、撃たれた脇腹を右手で庇うように押さえつける。太い血管にこそ銃弾は掠っておらず、致命傷を負ったわけではなかったが、だからといって痛みが無いわけではない。
「撃たれてもなお立ち上がるとは、見上げた根性をしてんじゃねぇか。普通だったら、ぷるぷる震えて怯えながら失禁するから、大泣きしながら情けを乞うもんだぞ?」
「お褒めに預かり、光栄です……ッ!」
 傷口から湧き出る温い血は、あっという間に傷口を押さえる手を赤く染め、熱いくらいに手を温めた。そして少し体を動かすだけで、体内にめりこんだ銃弾が周囲の筋組織を傷つけ、痛みが増していく。
 出来ることなら、助けて下さいと慈悲を乞いたかった。痛いと涙を流したかったし、漏らしそうなのを今は必死で我慢しているところである。
 けど、それらをしてしまったら、この男に負けを認めることになる。それに慈悲を乞うて通じる相手には思えなかったし、ここで泣き叫べば面白がられて、更に痛い目に遭わされる気がしていたのだ。
 今、アレクサンダーの目の前に居る男は、ニールを助けたペルモンド・バルロッツィ高位技師官僚ではない。彼の中に居る別の誰か、かつてパトリック・ラーナーが言っていた“血に飢え、凶暴化した餓狼”だった。
 すると男は、ニヤリと笑う。後ろで泣いていた白い少女の髪を乱暴に掴んで立たせると、男は言った。
「何も知らない優秀な生徒には特別に、こいつの正体を教えてやろう。こいつは、アバロセレンを用いた錬金術により生み出された人工生命体。人造人間ホムンクルスと呼ばれるものだ」
「……ホムンクルス?」
「“ペルモンド”が娘を人質に取られ、泣く泣く作った化けモンだ。お前だって、その第一号をよく知ってるはずだぞ?」
「何のことだか、さっぱり……ッ」
「人工生命体U-Ⅰユー・ワンU-Ⅱユー・ツー
 痛い、いやだ、やめて、離して。ぎゃんぎゃんと泣き叫んでいた白い少女の声が、男の言葉とともにぱたりと止んだ。
「通称、ユンとユニだ。自分たちのことを何も知らないあの双子は、人間じゃないのさ」
 首がありえない方向にねじ曲がった少女の骸が、煉瓦の地面に落とされる。そして骸は光を放ち、青白い燐光を輝かせる粒子となって消散していった。
「人間が灰から生まれ灰に還るように、こいつら人間もどきは、死ぬとアバロセレンに還る。出来損ないは酸素に触れた途端に一瞬で気化し、今の奴のような不安定な個体ならば一週間ほどで限界を迎える。あの双子も、仕組み自体は今の紛い物と同じだ。けれども、あの双子だけは特別なんだ」
「…………」
「他の紛い物がただのハツカネズミならば、あの双子は遺伝子組み換えがなされたノックアウトマウスだ。イミテーションのゲノムから余計なものを取り払い、優良な遺伝子を加えた、完全無欠の生命体。オリジナルである人間を凌駕した、完璧なイミテーションなのさ。まっ、片方は偶然生まれた失敗作なんだがな」
 アレクサンダーの顔からは、血の気が失せていく。出血も原因の一つだったが、それよりも憎悪のほうが勝っていた。
「だが、ホムンクルスは違法の存在だ。ヒトクローンと同じ、本来は存在してはならぬもの。世界の管理者どもも、ホムンクルスの扱いに困っているらしい」
「……だから、殺すのか? ユンも、ユニも」
「あの双子にだけは手を出すなと、お達しが出ているさ。だが、それ以外のゴミは処分しろと命令されている。事実を知った者も全員、とな」
「高位技師官僚、あんたは一体なにを」
「道具は、道具の務めを果たすまで。自由意思など無い。感情も、感覚も、何も与えられていない。唯一与えられた役目が猟犬である以上、俺は」
 再びアレクサンダーに向けられた銃口は、アレクサンダーの左胸に狙いを定めていた。
「仕事を終えるまで、与えられた役を演じ切るだけだ」
 感情の籠っていない声で、男はそう言う。男の目は緑色に光り、その様相のどこにも“ペルモンド・バルロッツィ”という人物の影は見られなかった。
 アレクサンダーは死を前にして、空虚感だけを味わっていた。心の中が空っぽで、なにをやっても満たされず、いっそのこと消えてしまいたいという思いが、芽生え始めていた。
 そしてアレクサンダーは、はたと気付く。思い出されたのは、カルロ・サントス医師の言葉。
『人間というのは、共感する生き物だ。相手が悲しんでいると自分も悲しくなり、相手が喜んでいると自分も嬉しくなる。それが、感情の転移というものだ』
『解離の患者は、自分の感情を表現する語句を持ち合わせていないことが多い。故に怒りや憎しみ、不満といった心理的ストレスを、身体的ストレスに置き換えて話すんだ。動悸がするだの、胃が痛むだの、頭痛がするだの、なんだの。そういった場合、患者が治療を望んでいたとしても、患者を苦しめている原因が分からなくなるんだ。そのときに必要になるのがカウンセリング、つまり対話だ。治療者は患者との対話の中で、患者の感情が“転移”してくる機会をじっと待つ。だが、それが分からぬアホの臨床医どもは、胃薬に頭痛薬に適当な精神安定剤やらを処方しまくるわけだ』
『時に患者は対話の中で、治療者に対し攻撃的な態度を取ることがある。その結果、治療者には余裕が無くなり、「もう打つ手がない」という焦燥感に駆られ、身動きが出来ないという気分を体感することがあるんだ。その際、治療者が感じる“身動きがとれない気分”というのは、実は患者が常に味わっている感情であったりする。それがつまり、転移。これに気付けるか否かで、優秀かそうでないかが決まるというわけだ』
 アレクサンダーが感じた空虚さは、目の前でにやりと笑っている男が抱いている感情なのだ。
「そんなの、空虚じゃないか。アンタの心はまるで空っぽで、それに……」
 震える声で、アレクサンダーは呟く。するとその言葉を、男は鼻で笑った。
「だから、言っただろう。道具に、自由意思は無いと。自我を極限まで排除してこそ、道具は道具たり得る」
 引き金に掛かっていた男の指が、動く。アレクサンダーは静かに目を瞑り、死を覚悟した。
 そのときだった。
「だが、猟犬を放し飼いにするというのは如何なものかな。犬には首輪が必要で、飼い主には責任感が必要だ。……そう思わんかね?」
 背後から、どこか聞き覚えのある気がする声が聞こえてきたのだ。アレクサンダーは瞼を開く。すると同時に、一筋の追い風が吹いた。
「これ以上、貴様の暴走を許すわけにはいかない」
 否。アレクサンダーの真横を、一本の長い槍が通り抜けていったのだ。
 槍は男が構えていた拳銃に命中し、グリップに突き刺さると、地面に落ちた。「貴様の主が誰だかは知らん。けれども、これだけは言っておこう。これ以上、屍を積み重ねるな。私が、許さん」
 するとまた、槍が飛ぶ。今度は五本も同時に飛び、槍は全て男の体に突き刺さった。腕に、足に、右胸に。そしてまた、槍が飛ぶ。今度は男の腹部に刺さり、体を貫通して抜けていった。
 男は地面に膝をつき、顔を下に向けると、堪え切れなくなったように赤黒い血を吐き出す。それから男は視線だけを上げると、血走った目でアレクサンダーの後ろに立っていた人物を睨み据えた。
「……お前ッ……!」
「久しぶりだな、ペルモンド。いや、今の貴様は私の知っているペルモンドではないんだったか?」
 アレクサンダーの前に、その人物は出る。黒いサングラスで目を隠した、枯草色の髪の、黒い背広の男だった。
「なら、ペルモンドを出せ。貴様のような凶暴な溝鼠と話しても、埒は明かぬだろう。私は、ペルモンドに話がある」
「人格ってのは、自由自在に交代できるもんじゃぁねぇさ。それに、久方ぶりに陽の目を見たんだ。簡単に引っ込むと思うか?」
「貴様の都合など知らん。さっさとペルモンドを出さんか」
 そう言うと枯草色の髪の男は、どこからか剣を取り出した。何もない空間から生えてくるように現れた粗末な剣は、枯草色の髪の男の手に収まることはなく、宙にふわふわと浮く。そこに磁力でもあるかのように、剣は浮いていた。
 そして剣が枯草色の髪の男の舌打ちと共に、ひとりでに動き出す。剣は血反吐を吐く男に止めを刺すように、振り降ろされた。それと同時に、男の体にそれまで刺さっていた槍が抜けていき、枯草色の髪の男の足下に並んだ。
「貴様は竜神カリスの加護を受けているとかなんとかで、死なないんだろう? 脳神経を焼ききろうが、動脈を傷つけようが、心臓を握りつぶそうが、体をぎったぎたに刻もうが、何をしても必ず生き還るそうじゃないか。死という概念を超越した魔物、アンデッドのようにな。それに痛みも感じないんだろう?」
「……」
「ならば目的が果たされるまで、お前を殺し続けるまでだ。さっさとペルモンドを出せ。貴様に用はない」
 剣がひとりでに舞い、男は血を吐きながら奇妙な嗤い声を上げ、枯草色の髪の男はバイオレンスな振舞いを見せ、血はあたり一面に巻き散らかされていた。
 目の前で起こっている出来事は、幻覚なのか。それとも何かタネがあるマジックの類か、完全なる魔法、もしくは悪い夢なのか? アレクサンダーは自分の目を疑いながら、そんなことを考える。すると、アレクサンダーの腕が引かれた。
上官サーがあれの動きを封じているうちに、早く! 君は私についてきなさい!!」
 アレクサンダーの腕を引っ張ったのは、パトリック・ラーナーだった。彼はアレクサンダーを引き摺るように走ると、人気もない裏通りに誘導し、そこに留まっていた真黒のバンにアレクサンダーを押し込む。そしてバンの運転席に座っていた人物に向かって、彼は怒鳴った。
「アイリーン、早く車を出しなさい!」
「サー・イエッサー! ……って、パトリックじゃん。あれれ、サーとケイはどうしたの?」
「サーには空間転位能力がある、だから大丈夫だ。それに伸びてるケイは、きっとサーが拾ってくる。ですから私たちは、さっさと本部に戻りますよ! アレクサンダーが大怪我をしてるんだ、さあ早く!!」
「うっそ、マジ?! 分かった、速度制限ガン無視でかっ飛ばすね!」
 アクセルを全開で踏む音が鳴り、エンジンの駆動音が車内に響く。車が揺れるたびに撃たれた場所が痛んで、アレクサンダーは呻き声を上げた。
 するとパトリック・ラーナーが、何かを取り出す。バチバチという音を立てる何かが、アレクサンダーに向けられた。
「痛むのは、ほんの一瞬です。そのあとは楽になりますから。アレクサンダー、覚悟してくださいね……!」
 ぼやけた視界の中で最後に見えたのは、火花を散らす光だった。それがスタンガンだと理解したとき、アレクサンダーの体に強烈な電流が流れ、そのまま意識を失う。最後に聞こえたのは、“ルーカン”アイリーン・フィールドの甲高い悲鳴と、パトリック・ラーナーの罵声だった。
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