白昼の夢

希望喪き地で捧げられる、“神”への祈り。
知を得た猛獣が巻き起こす、醜く悪しき争い。
喰らうわけでもないものを、意味無く殺す無益な戦。
意味無きものにすらも、意味をこじつける愚か者。

そこに疑念を抱いた時、幻影は人を空を往く方舟へと導く。


***


 あたしは、怖くなんてないよ。
 彼女はそう強がりを言ってみせていた。煤けた顔には涙が流れた跡があるというのに。それは誰がどう見ても分かる、嘘。でもそれを敢えて私は咎めることをしなかった。咎めてしまえば目の前にいる彼女が壊れてしまうような、そんな気がしていたのだ。
「……どうして、同じ人間同士が争わなくちゃならないの?」
 いつか機関銃を手にした少年が、冷たい目で言っていた。
 それは、人間が猛獣だから。猛獣だから縄張り争いをする。けれど人間という猛獣には知識という武器があって、道具を扱う。そして欲望があるから、ただの縄張り争いにも意味を求めて、必要以上の意味をこじつける。だから、醜い。だから、愚かなんだ。
 そして銃剣を手にした少女も、怒りに身を任せながら言っていた。
 こんなことの為に道具を生み出す人間なら、いっそのこと滅んでしまえばいい。生きる為に、食うわけでもない相手を殺すなんて馬鹿げてる。
「どうして、なの」
 鉛の弾が飛び交う空、生き物が倒れ果てる大地、全てを焼き尽くす炎、目を潰す光、人の心を蝕み壊す暗闇、血で血を洗う川、油が流れ出た海。命の営みは既に失われて等しい。男は死に絶え、女の大半は見せしめに殺され、子供は自分の身を自分で守るために武器を持つ。もう希望なんてどこにもなかった。それでもここには、敵と味方という関係がある。どちらかが死に絶えるまで、死の連鎖は終わらない。
「……なんで、どうして」
 神は、居るというのだろうか。
 そんな小さなことから始まった、この戦争。古の宗教を信仰し続ける国が、古の宗教を否定し宗教的な意味を持つ神は居ないという結論を打ち出した先進国に攻め行ったのだ。相手は神の加護を受けたという戦士。こちらは国の領土を守るためだけの兵士。でも、どちらの戦士にも兵士にも、祈りを捧げるような存在は有りはしなかった。
 この場においては人が全て。生きるも死ぬも、生かすも殺すも人次第。神に祈りを捧げたところで、どんな銃弾も跳ね返してくれるようなシールドを得られる訳じゃない。祈りは無意味。でも、それでも人は何かに祈っている。希望の無い世界に、希望を見出だしたくて。
 実に、滑稽だった。憐れだった。阿呆らしかった。
 でも、それが人間。汚くて醜悪で歪な心を持った、人間なんだ。
「……なんて、汚いんだろう」
「だからこそ、儚くて美しい。そうじゃないのかい?」
 いつの間にか私の後ろに立っていた青年が、そんなことを言った。彼の金色の髪が風に揺れて棚引く。そして青年は、かつてはレミーラと呼ばれていた強がりの少女の亡骸に触れた。開きっぱなしの目蓋に触れた白い指が、目蓋を閉じさせる。あどけない寝顔だった。
「美しい?」
「……なんてね。嘘だよ。汚くて醜くて悪い、薄汚い。力を持つ人間は特にね。権力を持つ汚い人間はああもしぶとく生き残るのに、持たざる者たちはこうしてあっけなく散っていく。世界ってのは、不条理に出来てるのさ」
 束の間の青空は何処へやら、気が付けば空には再び砂埃が舞い、茶色く濁っていた。ミサイルが落とされる音が鳴る。
「さあ、逃げよう。君はまだ生きなくちゃいけない。やらなきゃならないことがある」
 青年に手を引かれる。そして足は視界の片隅に、遥か遠くに見える雲の切れ目、青空のほうへと向かっていた。




 辿り着いた先、青空の下。そこには平和な世界があった。エメラルドグリーンの海を悠々と泳ぐ魚たちの影。血が流れている影もなく、大地を流れる川も清流そのもの。鉛の弾丸もない、美しい世界だった。
「上を、見てごらん」
 青年が空の彼方を指差す。そこに浮かぶ影。戦闘機ではない。島のようにも見えていた。
「あれは、空中要塞アルストグラン。かつてアルフレッドやオーストラリアと呼ばれていた大陸を地盤と切り離して、特殊なエネルギー源を利用した巨大で強力なジェットエンジンの力で浮いている要塞さ。別名、アルフレッドの方舟。イザベル、あそこに君は行くんだよ」
「あそこに? でも、どうやって……」
 青年の姿はもう何処にも無かった。彼は、何だったのだろう。幻、だったのだろうか。
 見上げた先の空、一機の小型飛行機がこちらに向かって下降してきていた。

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