アリアーヌ・ペルシュヴェラ。彼女は今、絞首台の前に立っていた。
「……哀れなものだわ、本当に……」
目の前に迫る民衆たちは皆一様に、彼女や彼女の横に並ぶ哀れな女性たちに軽蔑の視線と侮蔑の言葉を投げつけている。それはとても切れ味の悪い刃であり、いつまでも首を切らずに関係のないところばかりを切りつける斧であり、止むことなく浴びせ続けられる冷たい汚水であり、延々と吼え続けるだけで噛みついてこない猛犬のようで。じりじりと追い詰めてはくるものの、致命打は与えてこない。それが彼女を、燻らせていた。
誰も彼も、絞首台に立つ彼女たちを恐れている。悪魔だと、魔女だと。そうして本当の“問題”は、とっくの昔にすり替えられてしまった。
不幸な女たちに責任の全てを押し付け、汚れた女たちに罪の全てを擦り付けて。そして何も改善されぬまま、何も解決されぬまま、きっと人々は衰退の道を辿ることになるのだろう。そうなったとしても、もう私には関係ないことね。ペルシュヴェラは静かに、民衆を、自身を嘲笑う。
だって私は、魔女なんですものね。
自分は魔女だと、サバトに参加したと自白してしまった以上、今更慈悲を乞うても誰一人として耳を傾けてくれなどしないだろう。
だから彼女は、諦めたのだ。自分にはきっと、神からこういう運命が課せられていたのだろうと。そして大人しく受け入れた。自らの死を。こうして民衆の前で、恥を晒しながら死に晒すことを。
あの人も、あの子もいないこの世界に、未練なんてないわ。
だから早く、私を殺して頂戴な。
そして彼女は一歩、足を踏み出した。首にかけられる太い麻縄。恐怖は吹っ切れ、その鱗片はどこにも残されていない。そんな彼女の顔はどこか勇ましく、凛としてすらしていた。
全ては、あの人が流行り病で亡くなったことから始まったのだろうか。
ペルシュヴェラは思い返す。あのとき、彼女は一人取り残された家の中で、悲しみにくれて嘆いていたのだ。幾夜も涙で枕を濡らし、なんどあの人の名前を叫んだことだろう。けれどもそのうちに、村の中で彼女は孤立していった。皆が彼女を避け、そして忌み嫌うようになったのだ。
あの女とつるむのは止しな、あの女のせいでバルザックは死んだのだから、と。
そのうち彼女は、家の中に迷い込んできた一匹の犬を飼い馴らした。可愛げも、愛想も無い犬だった。でもその犬に対して、彼女は妙な愛着を覚えたのだ。今思えばそれは、寂しさを紛らわすためだったのかもしれない。けれどもその犬も、すぐに死んだ。犬を外に放していたとき、畑を荒らしに来た狼に襲われて、犬はあっけなく死んだ。
犬が死んだのは、きっとあの女のせいだ。
可哀想な犬だねぇ。
そんな声が、聞こえていた。
そしてあるとき、気が付けば彼女のお腹は大きくなっていた。あの人との子供を、その身に宿していたのだ。彼女は喜んだ。きっと彼が、生まれ変わってきてくれたのだ。そう思っていた。産まれてきた子供は、とても愛おしかった。
けれども時を同じくして、村では別の女がせっかく身籠った子供を流していた。そして村人たちは囁きだした。
あの女が、スフィーリーのお腹に宿っていた子供を妖術で流させたのさ。
あの女の旦那だったバルザックが死んだのも、
デリアの家の男の子が流行り病で死んだのも、
ゲネットの家の赤ん坊が死んだのも、
全部あの女のせいだ。
あの女が、この村に災いを撒いている。
あの女は悪魔だ。
あの女は魔女だ。
ならあの女の子供は?
あの子供は、悪魔の子供だよ。
ならば早く、悪魔の子は処分しなけりゃならないよ。
じゃないと村が、滅びちまう。
あの魔女のせいでね。
根も葉もない噂が一人歩きし、尾ひれがついて広まっていった。虚実が事実に刷り替わるまでに、大した時間もかからなかった。あっという間に産まれてきた子供は彼女の腕から奪われ、儚い命は飛んだ。そして噂はあっという間に異端審問官の耳まで伝わり、彼女は呪いや災いを振りまく“魔女”として身柄を拘束された。
私は魔女じゃない。そんな妖術なんて知りませんわ。
何度も、彼女はそう言った。その度に打たれた。
嘘を吐くな、お前が魔女だということは分かっているんだぞ!
待っていたのは数々の拷問と、自白を強要する脅し。この時代、魔女だと噂が一度でも立ってしまったのならば、それで人生が終わりだというのは常識だった。その証拠に、審問官は決して耳を貸そうとしない。服を剥いで、鞭で殴って、縄で縛り付けて吊るし上げて、そして体に痣を作らせる。それで痣を指差しこう言うのだ。
これが悪魔と契約した印だ! そうなんだろう!!
その時にはもう、彼女は何もかもを諦めていた。だから、認めた。事実無根だとしても、認めざるを得なかった。私は魔女だと。夜が来れば生け贄を携えサバトに出席し、服を脱いでは山羊の頭をした悪魔たちと楽しんだ、と。箒に跨がって空を飛び回り、ヨーロッパ中に災いを、流行り病をばらまいたと。
そして今、ペルシュヴェラは絞首台に立っている。やつれ傷だらけの顔で、それでも笑顔を取り繕って、こうして立っていた。
「そうよ、私は魔女よ! 魔女だと罵りたければ、気が済むまでいくらでも罵ってみなさいな! 直に死ぬ私には、もう関係ないことですから!」
黒装束に、黒い三角帽子。それと空飛ぶ箒。そんな可愛いげのある魔女なんて、この時代には存在しなかった。
存在した魔女たちは、誰もが一様に哀れな女ばかりだった。夫を亡くした独り身の寡婦 、子を亡くし悲しみに暮れる母、痴呆の言葉なき老女、流行り病が蔓延る中で生き残れた女。孤独な女たちは皆、得体の知れない恐怖の捌け口として国に宗教に利用され、最後にはこうにも呆気なく棄てられていったのだ。
そして、ペルシュヴェラの足が宙に浮く。観衆たちからは歓喜の声が上がったのだった。